おかげさまで40周年[とらふぐ専門店玄品40周年特設ページ]

玄品はおかげさまで40周年 これからも歩み続けて参ります

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Message玄品の想い

つながりと傳承を紡ぎ挑戦し続ける玄品

株式会社 関門海代表取締役社長山口 久美子

40周年を迎えて。

昭和55年に大阪府藤井寺の地で、とらふぐ料理「ふぐ半」始めてから、今年で40周年を迎えます。その後関門海の前身である、「さかな亭」を平成元年に設立し、平成13年には現在の株式会社関門海に商号に変更し現在に至っています。そんな40年を振り返りますと、会社にとって沢山の出来事が目まぐるしく起こった40年でした。しかし、40年間変わらず支えていただいたのは、他でもない、永らくご愛顧いただいております「お客様」です。お客様に心より御礼申し上げたいです。 「本当に永きにわたり、ご愛顧いただきありがとうございます。」 皆様のお蔭をもちまして、この40年、沢山の出来事を乗り越えることができましたし、前向きな開発も沢山出来ました、本当にありがとうございます。 私自身、40年の歴史の中で、創業11年後から山口聖二の家内として関わり、夫、亡き後、その7年後からは関門海に合流し、その後経営に参画し現在に至っております。振り変えれば目まぐるしい期間でした。しかし、弊社には先人たちが創り、受け継がれている、良い人材と強い商品力がありました、そのお蔭で、さまざまな出来事を乗り越えることができました。特に人材には感謝しています。 弊社は、支え続けていただいているお客様・素敵な社員・そして他にない商品や技術力が財産です。皆様のお蔭様でこの40年間頑張ることができました。50年いや100年に向かって、更なる飛躍をするためにも、社員・商品力・技術力をブラッシュアップし、大切なお客様に満足いただける空間を提供し続けます。 私たちは、この40周年を絶好の機会ととらえ、人の成長・商品の成長・技術力の成長を、前向きに力強く邁進していきます。そうすることで、お客様に喜んでいただけることを考えて行動する精神が息づく「玄品」へと成長します。

Guenpin History玄品の歴史

受け継がれた40年の軌跡その先へ

1980「何か店をやってみろ、ふぐなら儲かるぞ」

飲食店を営んでいた創業者山口聖二氏の父親は、ある日彼に提案した言葉。
これをきっかけに1980年19歳のときに、父親から商売の手ほどきを1から教わり「とらふぐ専門店 ふぐ半」(大阪府藤井寺市)を開きました。
当時は、天然ふぐが主流で、夏場は閑古鳥がなく日々がつづいたので当時の相場より、ふぐ料理を安価にすることで、繁盛し始め、そんなときにそれまでにない想いが芽生えた。
「とらふぐ料理をもっと多くの人にお腹いっぱい食べてもらおうやないか!」
その想いを形した「てっちり1980円」の看板とともにふぐ業界に革新を起こす物語がスタート。

2002 屋号「玄品ふぐ」へ

大阪での勢いをそのままに東京の新橋に1号店を出店。繁華街を中心に店舗数を拡大し関東での開店当時は6時間待ちのお店もでるほどの話題のスポットとなりました。
一方、大阪の本社では、安全で本当の美味しさを追求するとらふぐの研究開発が始動。
ふぐを細胞レベルで研究し、調理方法に応じて最も美味しい熟成時間を科学的に立証する技術を確立しました。
2002年には“奥深い究極の味わいの品(料理)”の意を持つ『玄品ふぐ』に屋号を統一し全国に出店拡大、株式上場も果たしました。
創業者との突然の別れなどを乗り越えて激動の時代を歩みました。

2020 100年続く「玄品」へ

2017年4月には海外第一号店としてシンガポールに、2019年5月には中国の上海に玄品ブランドを展開。日本国内で修行した社員が海外で活躍し始め、屋号も「玄品」に変更し、とらふぐ料理を中心に蟹や寿司、鰻なども提供を始めました。
また通販の充実により、現在では全国の方々にお店とはひと味違うふぐの楽しみ方のご提案をさせて頂いています。
日本の伝統食であるとらふぐ料理の美味しさをこれからも発信し続け、心地よいお店として皆様のより身近な存在になるよう努めて参ります。